第31話   苦竹の竹薮    平成15年09月05日

土屋鴎涯の「時の運」の第一図にこんなくだりがある。

お前様方、「釣竿は50銭、小竿は20銭あて刈らせる」と云うと
「馬鹿に貪る爺だ」と云わっしゃるけれど、「一本伐るためにあたりの竹56本も刈らされて段々良い竹が生えなくなる。本楯の八幡神社付近の藪は見ての鑑だ。決して高いもんでネェ。なるたけ辺りを傷めないで伐ってもらいたい」と云う件がある。

明治末、大正か昭和初期の竹藪に入って竹を取っている素人竿師と竹藪の持ち主とのやり取りをユーモラスに書いてある。当時の20銭、50銭が高いか安いかは分からない。昭和初期の東京では1円あれば映画を見て食事して丸1日遊べた時代であった。高いか安いかは採る人の価値観の問題だ。商業主義に流され、とかく釣具屋で売っているのは3年古と云われて居るが、実は癖の付きやすい2年古でそんな竿を掴まされるよりは、竹藪に入り自分で取ってきて自分が創った方が良いと思っている人達がまだまだ多く居たのである。

この頃は、まだ長竿に出来る竹があった事が分かる。又、わざわざ鶴岡から酒田市本楯地区まで1時間近く汽車に揺られてやって来た。そんなにしてまで竿にする苦竹を探しに来ていたことが分かって面白い。自分の気に入った竿を作るに手間隙を惜しまないで探すのは今でも変わらない。海岸から10km以上離れている本楯地区近辺は、昔から良質の竹が生えている。

昔から酒田の竿師は、海岸から離れた本楯地区を中心に近辺の竹藪から苦竹を採っていた。今では長竿に出来るような竹は生えてないと嘆いている。良い竿は二間一尺(3.90m)がヤットで、二間半(4.50m)に出来るものは少ない。3年古になってから採ると良いと思っている良い竹を探し目星をつけていても、素人の竿師の人が2年古の内に皆持って行ってしまうと云う。素人のように2年古は採ってはいけない。竿師なんてそんなものだ。商売にならないとこぼす。竹藪だったそうだ。苦竹の竹藪はあまり手を加えすぎても駄目なのだが、まったくしなくても駄目だ。良い竹が出来るように多少の手入れをしていたからこそ良い竹も生えたが、今は誰も手入れもしていない。

参考資料  「庄内の釣 時の運」
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